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「無限と有限」 2005年11月08日更新

地球は無限の宇宙に浮ぶ小さな球体であり、当然ながら有限の世界である。それでもアメリカ大陸が発見されるまでは人々は地球の全貌を知らなかったのだから、地球は無限のように思えたとしても不思議はない。 しかし文明の発展につれて本来有限である地球がどんどん小さくなってきた。今や地球はまことに小さな有限体となってしまっていることを認識すべきであろう。

一方で人類の人口は増加の一途をたどっている。人口が増えれば消費する資源も当然増えるのだが、この資源は有限である。行き着くところは明白であり、資源が枯渇して人類は大きく人口を減らすしかなくなるのである。 
どのようにして人口が減るのかは云うまでもなかろう。資源が枯渇に向かうということはその価格が上昇して行くということであり、貧しい者から死んでいくことになる。 つまり弱肉強食である。これが自然の摂理ではあるが、その招く結果があまりにも悲惨であることを考えれば、人類としてそうならないように事前に手を打つ必要があるのではないか。

20世紀において資本主義が成功し繁栄したことは事実であるが、この資本主義は地球が有限であることを意識したものではなかった。ひたすら規模の利益を追求し、今日より明日と無限の拡大を目指すものであった。言うなれば植民地主義と同根の行動である。経済の規模が植民地主義の時代とは比較にならないほどに拡大している現代においてこうした行動をとれば、有限体である地球から必ずしっぺ返しを受けることになるのは必然である。 

こうした結果は世界各地のあらゆる分野で見ることができるが、日本において身近で典型的に見られるのが倒産続出となったゴルフ場経営である。バブルに浮かれて90年代に無数ともいえるゴルフ場が建設され会員権が販売されたが、バブルの終焉と共に経営不振に陥り大半が倒産した。あとに残されたのは解雇された従業員と、高額の会員権が紙くずになってしまった会員と、開発に資金を提供し結果として巨額の損失を蒙った銀行と、そして無残に開発された土地である。これは非常に分りやすい教材であり、これから多くを学び今後に生かしていかねばならない。

つまり地球上における経済活動は有限であることを前提にすべきであり、植民地主義の時代のようなあたかも無限であるかのように考え行動するのは間違っているのだ。とは云っても通常の経済活動は目先の利益を期待するものであるから、地球のことなど考えていられないのも理解できる。そこで危険な行動を規制する倫理感が必要となる。暴走を防ぎ安全運転を勧める倫理感をまず行政がしっかり持ち、経済活動の責任者にもその倫理感を敷衍させる努力をすべきであろう。なかなか難しい課題ではあるが、人類の平和と安全のためにはなおざりにはできないと思う。

(一本杉)

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