コラム

過去のコラム一覧へ

「豊かさとは」 2005年06月21日更新

おそらくこの質問に殆どの人が、お金持である事と答えるだろう。 しかしそれでは お金持とは具体的にどんな人を指すのか、どれくらいの現金や資産を持ったひとがお金持と云われるのかと聞かれたら、返答に窮してしまうのではなかろうか。 つまり、お金持とはかなり漠然としたイメージなのである。 ある人は自分よりお金を持っている人をすべてお金持ちと呼んでいるかもしれないし、またある人は豪邸に住みベンツを乗り回している人をそう呼んでいるかもしれない。 ではこうした人達が皆豊かさを実感しているかといえば、おそらくそんなことはあるまい。 夫々に様々な問題を抱えて生きているのが人間である。

あるアメリカの調査によれば、宝くじで巨額を手にした人達を追跡調査したところ、殆どの人が悲惨な余生を送っているとのことだ。 日本における同様の調査があるのかないのか知らないが、実態はおそらく似たようなものだろう。 だとすればお金持になることが豊かさを保証するものではないことが分る。ある人に聞いた話しだが、資産が一定額を超えると資産は単なる数字となってしまい、それによって特に良いことがあるわけではないそうだ。 だとすれば、豊かさとは物質的に求めるものではなくむしろ精神的なところに求めるべきなのだろう。豊かな気持になれることこそが真の豊かさではなかろうか。

個人の場合は大体これで結論めいたことになるが、国の政治経済の話しになるとそれほど単純ではない。 国としては国民が豊かになることを望むのだが、この場合の豊かさとは相対的なものである。資本主義制度の下では豊かさは経済力がもたらすものであり、相対的に経済力の強い国がより豊かな国ということになる。 経済先進国にとっては、経済力の弱い貧しい国が多ければ多いほど自らの豊かさを実感できることになる。

例えば人件費が日本の十分の一の国があるとして、この国に住めば普通の日本人であっても何人かの人を雇って優雅な暮らしができることになる。 また安い人件費を使って作ったもの、農産物であれ鉱物資源であれ或いは工業製品であれ、これらを日本製よりはるかに安い値段で手に入れることができる。 これらは日本の経済力を背景にした 強い為替レートのおかげである。

先進国の側から見れば、こうした状況はできるだけ長く続いた方がよい。 それはとりもなおさず豊かな状況が長く続くことを意味するからだ。 さてここまで来て皆さんお気づきだろうか。これは即ち昔の西欧諸国が植民地支配を行ったときの考え方なのである。安い人件費を使って資源や製品を手に入れるためには、技術の移転や資本の投入を行わなくてはならないが、これを相手国に与えて行うと相手国の経済が発展することになり折角の安い人件費が上昇することになる。 したがって自国の会社を進出させて労働力だけを現地調達する方法をとることにより、相対的な豊かさを持続するというのが植民地支配の基本的な考え方だ。

現在の先進諸国がこうした考え方を変えない限り、例えばアフリカの低開発国などは永久に救われないことになる。日本がもし本当に世界の平和を願い、極貧の民の生活向上を望むなら、相手国の経済が自生できるような方向でODAを使うべきであろう。
資本主義の下では、どうしても植民地支配の思想が支配的となるが、 これを強く戒める意志が求められる。

(一本杉)

ユーザーID:
パスワード:
ログインする
e-BISTRADE