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「原油価格の歴史」 2005年11月28日更新

過去30年程の原油価格の歴史を振り返ってみよう。バーレル当り1ドルになるだろうと云われていた原油価格が、1973年から74年にかけて急に高騰を見せたのがこの歴史の始まりであった。原因はイスラエルとエジプト・シリアの間で起こった第4次中東戦争である。原油価格は一気に5倍程まで急騰し中東原油でバーレル当り10ドルを超えた。この為世界経済は大幅なインフレに見舞われ、各国が不況に悩むことになる。いわゆる第一次石油危機である。

ようやく長期に亘った不況から立ち直ったかと思われた矢先に、79年初頭のイランにおけるホメイニ革命が起こり、原油価格は再度急騰することになる。
80年には中東原油は10ドル台前半から30ドル台に乗せ、スポット価格は40ドルを超えた。これにより世界経済は再び不況に陥ることになった。いわゆる第二次石油危機である。 

80年後半にはイラン・イラク戦争などもあり中東原油は高値を維持したが、一方で消費国の省エネ活動も本格化し、消費量が減少傾向に推移する。スポット価格の中には30ドルを割り込むものも現われ、原油の供給過剰が明らかとなってくる。サウジアラビアはOPECの盟主として単独で34ドルの公式価格を死守せんと頑張ったが遂に実勢に抗しきれず、86年に実勢価格での販売に転向した。これを機に原油価格は暴落し88年暮れには中東原油で10ドル
近くまでになった。 

その後多少持ち直した形で原油価格は推移したが、90年の湾岸戦争で又もや急騰をみることになる。91年にはWTI原油で一時的に40ドルを超え中東原油でも32ドル近くまで高騰した。しかしこれも長続きはせず、90年代はおおむね中東原油で10ドル台で推移し、アジア通貨危機のあった97年には10ドルまで下げた。

21世紀に入ると世界景気も漸く持ち直しの兆しを見せ、原油価格は20ドル台で推移するようになる。2003年の米軍によるイラク攻撃を機に原油価格は再び高騰を始め中東原油で2005年終盤には60ドル台にまで上昇したのは皆さんご存知の通りであります。

このように見てくると原油価格はほぼ10年置きに急騰劇を繰り返していることが分る。そしてその何れにもに米英がからんでいることも。73年の第四次中東戦争はイスラエルとエジプト・シリアとの戦争だが、その根はイスラエル建国にあり、この建国は英国がイスラム諸国に押し付け、米国が強力に支援したものである。米国の積極的な武器供与がなかったら、イスラエルが戦争で勝つこともなかったろう。

79年のイラン革命は、米国の傀儡政権であったパーレビ王朝が腐敗の度を越した為に国民の信頼を失い失脚したものである。90年の湾岸戦争はイラクのフセイン大統領が起したものだが、そのイラクに米国が大量の武器を供与していたことは知られている。そして2003年のイラク攻撃は米国が国連の反対を押し切って行ったものであることはご存知のとおりである。 その米国を積極的に支持したのが英国である。いわゆるmajor oils と呼ばれる世界的巨大石油会社は何れもこの米英に籍を置いた会社であり、原油価格高騰の都度莫大な利益を得てきている。 これが事実であるが、この事実をどのように受け止めたらよいのだろうか。

(一本杉)

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