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「その時々の正論」 2003年11月14日更新

1945年 日本が太平洋戦争に敗れたとき 日本の国土は大都市を中心に ほぼ完璧に破壊し尽くされ 国民は飢えと貧困の極地にあった。 戦争に生き残った日本人は  無一文に近い状態から 国の再建に取り組むしかなかった。 そのために彼等はただひたすら働いてその日の糧を得 できれば何がしかの蓄えをするべく 必死となった。 

これが戦後日本の原点である。 政治家も役人も民間も考えることは唯ひとつ いかに飢えを癒し 富を蓄積するかであった。 国民はこの大命題の下に 完全に一体となった。 資本主義と共産主義とのいさかいはあったが これも大命題を揺るがすほどのものではなかった。 天皇陛下万歳の精神主義から 急転直下物質主義に変身したのだ。 

国内面では国民生活の向上 対外面では外貨獲得 この二つが政策の軸となり
役所はその推進に努め 国民は役所に従った。 こうした三位一体は成功し 日本の経済は急速に成長することになる。 1970年台には先進経済国の仲間入りをし1980年台には経済大国となった。 40年以上にわたり ひたすら物質主義を追求した成果である。 そして その集大成とも言えるのが 1980年代終盤に発生したバブルだ。 1990年代初頭に崩壊したこのバブルは ひとつの時代の終わりを告げる大花火だったと言えるだろう。

このバブルによって 物質主義一辺倒の社会や人間の醜い部分が露見した。 功利的にしかものを考えない人間や社会の限界が明示された。 戦後の経済成長を支えたのは 明らかに三位一体の物質主義であり その意味でそれは正論であった。
しかし 貧困からの脱出に成功してもなお それを引きずったところに 問題があったのではないか。 物質主義は 社会が豊かになると進むべき道を見失う。 そして方向感覚を失ったまま やみくもに突き進むことになりがちだ。 つまり ルールを守らないマネーゲームとなる。 これがバブルだ。

バブルが崩壊して かれこれ10年が経つが 未だに将来への方向性が見出されていない。 長期に亘った経済成長の間に育った 政・官・民 の癒着構造が 今や日本経済の足を引っ張っているのは明白だが この構造をどのように変えるのか依然議論の段階にある。 かつて経験したことのない高齢化社会に どのように対応するのか これもはっきりとした道筋は見えていない。 若年層は 先輩の付けを背負わされるのはまっぴらだと しらけきっている。 かつての正論が もはや正論たり得ないのは確かであり ここで現代に相応しい正論を見付けなければならない。

昔から 衣食足って礼節を知るという言葉があるが 衣食足りた今 果たして日本人は 礼節を知っただろうか。 ひたすら物質欲に駆り立てられてきた日本人は 大切な物を なおざりにしてきたと思える。 長い歴史の中で 日本人は世界に類を見ないと言って良い 精神文化を築いてきた筈だ。 

平安時代の王朝文化 武家社会における武士道 江戸時代の町民文化 これらを  通じて日本人は 文学や芸術を育て 学問を大切にし 勇気や倫理観・正義感・責任感をもって身を律し 礼儀をわきまえ 隣人を愛し 金銭的には十分でなくとも   こころ豊に暮らす術を身につけてきた筈だ。 ところが 敗戦後50年間の物質主義 一辺倒の間に これらが忘れ去られてしまった。
 
バブルの崩壊 そして それに次ぐ長いデフレ経済に悩む現在は 1945年以前の日本に目を向ける丁度良い機会と言える。 経済的には 日本は既に戦後目標を達成した。 そこで 歴史的な日本人の美徳を思い出し 金銭的な豊かさよりも 精神的な豊かさを重んじることが これからの日本人を幸せにしてくれると思う。

アメリカは国が若すぎるし また人種も多様なので このような方向転換はできないだろう。 おそらく金持ちになることだけが夢という アメリカ人気質は 今後とも続く筈だ。 したがって 日本人が本来の良さを取り戻すのならば アメリカとは一線を画すことが 必要となろう。 進む道が違っても 友人は友人として存在できるのだ。

(一本杉)

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