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「狩猟民族と農耕民族」 2007年05月29日更新

現人類が地球上に現われたのは15万年ほど前のことだそうだ。その後の殆んどの期間、人類は狩猟・採集民族として生活してきたらしい。つまり狩をして動物を捕獲したり、海や川で魚をとったり、木の実や果物や原生の穀類を採集して食べていたのである。こうした状況が14万年ほど続いた後人類は植物の栽培や牧畜を始めるようになる。人類の人口が少ないうちは狩猟・採集だけでも充分な収穫を得ただろうが、人口が増えるにつれて食料を確保するには人口の少ない場所に移動する必要が生じ、人類はその生地アフリカからユーラシア大陸を西や東に向けて長い旅を続けることになるが、やがて農耕の技術を身に付けて定着した生活を送るようになった。

この農耕の技術により必要な食料を生産できることから増加する人口も賄えるようになり、大勢の人が一緒にすむ集団が形成されて文明の発展が促進された。定着した社会が構成されると土地を囲い込むようになり、多数が共同生活を営むうえでの価値観の共有やルールの設定などが行われた。つまり現代社会の姿はここから始まったとみてよいだろう。しかし一方で長期にわたり蓄積された狩猟民族としての遺伝子も、現代人は確実に持っている。

大陸のような広大な面積のなかで生活してきた人達は、比較的に狩猟民族としての遺伝子を強く残しているのではなかろうか。そして例えば日本のように限られた面積のなかで生き延びてきた人達は、農耕民族としての文化により強く染まっているように思える。前者は生きるために頻繁に外を歩き回って獲物を探す遺伝子であるから、精神的には攻撃的かつ利己的であり身体的には強い筋力と俊敏さを求められる。農耕民族は一年に一回か二回の収穫のために土地を耕して働くのであるから、どうしても土地を守る必要があって精神的には保守的で仲間との協調性を貴び身体的には持久力が求められる。

この構図を現在の日米関係に照らしてみると、明らかにアメリカは狩猟民族的であり日本は農耕民族的であるといえよう。企業経営に関する考え方をみるとアメリカの株主は投資が生む利益を早急に求め企業が社内に資金を留保することを嫌う。日本の株主の多くは投資が生む利益を永続的に得ることを好み、資金の社内留保もその会社の将来の利益に資するのであればこれを認める。この違いを前者が正しく後者が間違っているように言う学者がいるがこれは正しくない。彼等は単にアメリカの請け売りをしているのであり本質を見ていない。本質は民族性の違いにあるのであり、アメリカ方式をそのまま民族性の違う日本に持ち込めば成功はおぼつかない。

外交面で言えば、狩猟民族が外へ出かけて行って戦うのは当然のことであり彼等にとって何ら問題視するものではない。一方の農耕民族は土地に定着するのが本来の性質であるから、外へ出かけて戦うのは不得手であって当然である。日米両国の過去の外交の歴史や戦争の歴史を見れば、この違いは自明である。日本は外国へ出かけて戦うのは上手くないが、日本を守る戦いならば得意とするところだろう。くれぐれも外国へ出向いて戦うような愚は犯して欲しくないと思うのである。無論集団的自衛権などという言葉にだまされてはいけない。

(一本杉)

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