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「人口を考える」 2010年12月14日更新

天候に異変が生じたとき植物が通常より多くの花を咲かせ実をつけることが 知られている。種の保存をつかさどるDNAの仕業だろう。そして同様のことが
動物の世界でもあるようだ。人口の増加率が経済的に豊かなグループより貧しいグループで圧倒的に高いことがその良い例である。貧しいグループでは子供はまともな食事も与えられず高度な医療とは無縁である。したがって子供の死亡率が高いため 親はできるだけ沢山の子供を産もうとするのだ。こう考えると人口の増減というものが真に合理的であることがわかる。

いま日本では少子高齢化が国を危うくすると騒がれている。子供が減ると将来の生産人口が減り国の経済力を弱めるし また高齢者の総人口に占める割合が増えると年金や健康保険の負担が生産人口の生活を圧迫するというものだ。これはそのとおりなのだが だからといって一人1万数千円の子供手当ての支給によりはたして出生率が上がるのだろうか。人口の高齢化は以前より予測されていたことであり なぜもっと早く対策を講じようとしなかったのか。

合理性を軸にこの問題を考えてみよう。まず少子化を支える合理性とは何だろうか。一つは国が豊かになり医療も高度化して子供の死亡率が格段に下がり戦争もなさそうなので 子供の死亡に備えて二番目三番目の子供を産む必要がなくなったことが挙げられよう。つぎに大学を出るのが当たり前の社会となった為に子供の教育費がかさむようになり 多くの家庭が経済的理由で子供の数を制限せざるをえなくなったことも指摘できよう。さらには日本の住宅事情が大家族での生活には向かなくなったことも理由のひとつとして挙げられる。

無論他にもあるだろうがとりあえず上記の3点を見ても政府の子供手当てがこれらを解決するとはとても思えない。現状を変えたいのであればそれを支える合理性を変化させなくてはならないが 子供死亡率の低下は結構なことであり
これを上昇させるという選択はありえない。次に教育費に関してだが 専門高等学校の充実をはかり若者の生産人口への参入を早めることである程度の効果は期待できるのはないか。つぎに住宅事情だが筆者の結論としては皮肉だがこれを改善するには人口の減少しかないということになる。日本は島国であるがその面積のわりに人口が多すぎるのは明白である。そのために土地が高くなり住宅は狭くなっているのだ。人口の減少がこの問題を解決してくれるだろう。
いずれにせよ少子化が自然の成り行きであることに間違いはない。

つぎに高齢化だが生活水準の向上や医学の進歩を背景に人口が高齢化するのも
自然の成り行きであり合理性を持っている。問題は行政や政治が旧来の制度や考え方をそのまま現代にひきずりこんでなんら刷新しようとしないことだ。高齢化対策として打つべき手は できるだけ多くの人に年金や保険を受け取る側に回らず支払う側に残ってもらうことだろう。そのためには一律の定年制を禁止して働きたい人には長く働いてもらう環境を整えることが必要だ。高齢者になると体力などかなり個人差が出てくる。丈夫な間は払う側に残ってくださいとお願いすればけっこう喜ぶ人が多いはずである。

はやいもので今年も本稿が最後となりました。一年間目を通して頂いた読者の皆様には心底より御礼申しあげます。来年も老体に鞭打ってコラムを書き続けたいと思っておりますのでよろしくお付き合いの程お願い申しあげます。
では 良いお年をお迎えください。

(一本杉)

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