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「日本の民主主義」 2010年06月22日更新

米国の民主主義は開拓の歴史の中で開拓民が必要性を感じて政治家を選んでその任に当たってもらったというものだろう。したがって常に政治家の働き振りに目を向けて自分たちの判断が正しかったか否かを考え 間違っていたと思えば別のより良いと思える人物に代えようとするのが原点であったと思う。つまり一般庶民と政治との距離が近いということになる。

一方日本ではどうだろうか。日本の歴史は天皇の歴史に重なっているようだ。つまり日本の歴史の始まりからこの国には天皇が存在していたことになる。そして現在においてもこれは変わっていない。無論天皇の役割には変化があった。
その最も著しいものは中世における武家の台頭であろう。武家の力が増すにつれ相対的に天皇の国を支配する力が衰えた。江戸時代になると国を支配するのは徳川家となり 天皇は徳川家に政治を委ね名目的な首長としての地位を持つにすぎなくなった。

だがやがて日本の歴史のなかで唯一ともいえる革命が起こる。それが明治維新だ。これにより日本の支配者徳川家はその権力を失うが 討幕派が王政復古を唱えたため天皇は国の政治に関与することになった。天皇家にとって本当の危機は第二次世界大戦での敗戦だった。天皇は戦争責任をアメリカに問われても仕方のない立場にあったが 結果的には国家の象徴として存続することになり以後現在に至るまで広く国民に崇められてきている。

このように日本という国の歴史の始まりからずっと常に天皇が存在しその下に国民が生活してきたのである。敗戦後の日本はアメリカの意向をうけて民主主義を採り入れて制度もそれに見合ったものに変えたが 長い国の歴史のなかで培われた国民の意識はそう簡単に変わるものではない。いまだに政府や役所のことを「お上」と呼ぶ風習が残っているがこれなどその良い例であろう。この「お上」という言葉には国民は無条件に従うという意味合いが込められているように思う。つまり政治は「お上」に任せればよいと多くの国民が考えていることになり この場合政治と庶民との距離はアメリカとは違って遠いと言えよう。

つまり日本の民主主義はどうもアメリカのそれとは違うようだ。日本型の民主主義の場合政府や役人が国民の負託に充分応えるだけの正義感・倫理観・義務感を持って働いていればむしろアメリカ型よりも効率的といえよう。しかしそうでない時には国民のチェックが遅れたり甘かったりして政治の軌道修正に手間が掛かり国益を大きく損なうおそれがある。もし日本型が国の風土に合っているとするならば こうしたその欠点も十分認識して国民はその対策を講じるべきであろう。

(一本杉)

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