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「資源高は地球を救う」 2006年03月06日更新

最近原油を始めとして地下資源の価格が急騰しており、消費国経済に悪い影響を与えるのではと心配されている。地下資源が高騰すれば産業製品価格も値上げせざるを得なくなり、世界的にインフレを巻き起こすことになりかねないからだ。しかしこの考えは大事なところを見逃しているように思える。

そもそも地下資源は地球が気が遠くなるほどの年月を経て生産し蓄積してきたものであり、にも拘らず無限ではなく有限である。近代資本主義はこうした貴重な資源を大量に生産し安価で供給することに注力してきた。そのおかげで消費国の大勢の人々がその恩恵に浴してきたのである。ところが最近になってこの構図に変化が見えてきた。この恩恵に浴したいと考える人の数が急激かつ大幅に増えてきたのだ。人口が10億をかるく超える中国やインドの経済が確実に浮上を始めたからだ。

近代資本主義の発展過程における世界需要人口は10億にも達していなかったのではなかろうか。この程度の需要人口が前提であれば、近代資本主義経済はもっと長期にわたって大量生産・安価供給を続けられたはずである。しかし10億級の人口が複数現われたとなれば話は別である。なぜなら本来有限である資源量の対需要人口比が大きく下がるからである。これが意味するところは即ち資源高である。資源高は横暴な人類に痛みつけられる地球の悲鳴とも云えよう。

ここらで人類はこれまでの考えを改めるべきではなかろうか。いったい先進国はこれまでのような大量生産・大量廃棄をいつまで続けられると思っているのだろうか。生産面で痛めつけ廃棄物で痛めつけられている地球が、いつまで持つと思っているのだろうか。愚かな先進国にとって資源高は考えを改める絶好のチャンスである。資源が高くなれば当然これを節約する気風が高まり、野放図な消費を止めて物を大事に使い、それでも壊れたらリサイクルに向けることが当然となるだろう。これは人類の先祖がずっと続けていたことであり、人類以外の動物が今も続けていることである。これにより地球の資源は温存され汚染は減少することになる。

本来新品が中古より安いというのはおかしなことである。新しい資源を使って作ったものが修理代より安いのは近代資本主義の矛盾であり、新しい物の方が高いのが自然である。先進諸国はこれまでひたすら信奉してきた近代資本主義を見直すべきであり、中国やインドの皆さんには悪いが、皆さんが現在必死になって追いつこうとしている近代資本主義は、やがて砂漠の楼閣となろうとしているのだと申し上げたい。

(一本杉)

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