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「安定供給という幻想」 2004年01月29日更新


長い間エネルギー関連業務に携わってきた人なら誰でも「安定供給」と言う言葉を耳にたこができるほど聞いてきたはずだ。エネルギーを安定的に供給することがエネルギー産業にとって最も重要な使命だと考えられているからである。 

この目的達成のためと称して日本政府は海外の石油資源開発を石油公団を通じて支援しまた国内石油精製設備の許認可権を利用して民族資本の石油会社に優先的に増設枠を認可してきた。ではこうした政策は実効のあるものだったろうか。

石油公団は すでに読者の皆さんがご存知のとおり一兆数千億円の投融資を行ってきたが 結果は不良債権の山となり 最近その解散が決定された。 結果を見れば壮大なる無駄遣いといえる。 Exxon-Mobil や Shell などのメージャーオイルは年間で数千億円の研究開発費を遣っている会社であり また技術やノーハウの蓄積も膨大で さらに世界的な政治力も持っており とても日本の石油会社が立ち向かえる相手ではない。 所詮は無理な挑戦だったというしかない。 皮肉な話だが 十数年前に買収されたメージャーの一角Gulf Oil のお値段がたしか一兆数千億円だったから 石油公団もこうしたお金の使い方をしていれば いまごろはメージャー級の石油会社になっていたことになる。

では 民族資本への石油精製設備増設枠の優先配分はどうだったろうか。 この政策の結果 民族資本は自己販売力を上回る精製設備に投資することとなり 過剰設備に苦しむ体質となった。 一方の外資系は 設備認可を抑えられたため 設備と販売力とのバランスは良くなっている。 安定供給確保のために 民族資本に優先的に設備を認可してきたのだが それが民族資本の体質を弱めることになってしまった。つまり狙いとは逆の結果を招いてしまったのである。

なぜ そのようなことになってしまったのか。 おそらく 安定供給というものを表層的に捉えるのみで その本質を深く理解しなかったからではないか。 安定供給とは その言葉どおり安定的に供給が継続されるという意味だが これを実際に行うのは 民間の会社である。 石油生産会社は 地下にある石油を汲み上げて それを販売して初めて利益を得るのであり 地下に置いておいては一文の利益にもならない。
したがって 彼等が石油を販売しないという事態は考えられない。

石油運送会社も 船を動かして初めて利益を得るのだから 彼等が船を自発的に止めるということはあり得ない。 つまり 自由な商行為にまかせておけば 供給の継続が
なくなるということはあり得ないのである。 無論 政治的な理由によりこれが途絶することは考えられるが これは上記の政策によって防ぐことはできない。

次に 民族資本優先の設備許可だが これも上流部門を持っていない日本の石油会社にとって 何ら消費者に安定供給を保障するものとはいえず 単に過剰設備を持たされたに過ぎないのは明白である。 つまり まったく訳の分からないことが 安定供給という言葉の下に行われていたとしか言いようがない。

実際 過去二度のオイルショックの時に 原油価格は暴騰したが 供給が途絶した事実はない。 原油の売買は商行為として行われるから 売り手は高い値段を払う相手に売り渡すのであり 買手は値段さえ払えば原油を手に入れることができたのである。 これからも分かるように 通常の商行為として原油取引が行われている限り供給の安定は持続されるのである。

本当に安定供給を心配するのであれば それは政治的事由による場合を想定すべきであろう。 大きな戦争でも起きれば 日本にとって原油の供給が危機に瀕するのは間違いない。 だとすれば 日本がとるべきエネルギー安定供給のための施策は 世界の平和に積極的に貢献することと思えるのだが。

(一本杉)




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