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「日本は大丈夫か」 2006年11月08日更新

先日ある講演会で聞いたところによると、日本の子供たち相手のアンケートで先生を尊敬していると答えた子供の割合は20%強であったとのことである。
同じ内容のアンケートに対し、韓国や中国の子供たちは85%程度が尊敬していると答えているし、世界の平均でも約75%が同様だそうだ。これを聞いてショックを受けたのは筆者だけだろうか。読者の皆さんは如何ですか。

いくらなんでも日本とその他との差がこれほど大きいとはにわかには信じ難いし、この数字の中身をもっと吟味してみる必要はあるだろう。しかしいずれにせよ日本とその他との間で大きな違いがあることだけは間違いなさそうだ。
一体日本はなぜこんなことになっているのだろうか。恩師という言葉はすでに死語になっているのか。

こうした事態を招いた責任の所在としては、教師とか文部科学省とかあるいは親とか様々な見解が述べられるが、単体としての責任者はおそらくいないのだろう。これらすべて、もっと言うなら社会全体が一体となってこの現実を醸しだしているのが真実ではないか。大義を失った親は自己本位的になり、それを見て育つ子供も当然そうなる。一介の役人と化した教職員は生徒が抱える問題という重荷をできるだけ背負わずに楽をしたいと考える。文部科学省は現場から乖離したままその距離を狭めようとせず、現場の問題は教育委員会の責任であるとして自らは蚊帳の中から出ようとはしない。教育委員の多くは名誉職に就いていると考えており、現場の責任を取らされるとは思っていない。こうした様々なことの結果として現状があるに違いない。

だとすれば対策としてはこれらすべてを変えるしかない。まず大義を失った親だが、この責任は政治家にあるのではないか。政治家は国が将来に向けて進むべき道を明確にしなくてはならない。その目的達成のためには国民は何をなすべきかを問いかけ自覚させることにより、親はその子供にも自信をもって接することができ子供も安心してついていけるようになるはずだ。教職員も国の方針が明確となればそれに沿った動きをとるだろうし、また仕事に熱心な教師にはそれなりの報酬を与えることにより教師と生徒との関係はより蜜になるだろう。役所も国が明確な方針を打ち出せば何もやらないではすまなくなるし、現場がより機能的になるように策を講じるだろ。こう考えると日本の現状がこれほどひどくなった責任は結局は政治にあると言わざるを得ない。少子化対策や高齢化対策といったパッチワークではなく、少子高齢化は現実でありこれが簡単に逆転するものではないことは明白なのだから、この現実を受け入れて日本はどのような国になることを目指すのかを真剣に検討し答えを見つける努力をするべきである。国民が知的に豊かになることは国に大きなパワーを与えるものであり、これが今後の方針を作る上での示唆となるのではなかろうか。国民が知的に豊かになることを嫌うのは共産主義国だけである。

(一本杉)



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