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「イランに関して」 2006年09月20日更新

このところイランがすっかり悪者にされている感がある。具体的にはウラン濃縮の作業を国際社会が止めるように要請しているのに対し、イランはまったくこれに応じるつもりはないと突っぱねているからである。ウラン濃縮は悪であり、その悪を止めることを拒否しているイランも悪であるという構図だ。アメリカはこのように思いどおりにならないイランを懲らしめようと、国連の安保理を動かして制裁措置を決議するように迫ったが中国とロシアがこれに反対で中断している。

原子力発電の燃料としてのウラン濃縮であり核兵器製造のためのものではなく、したがってこれはどこの国でも認められている権利であるというのがイランの主張だ。しかしこれを認めればやがてイランは濃縮濃度を高めて核兵器製造に向かいかねないというのが西側の危惧である。夫々に言い分があるが、やはり公平に見ればイランの側に正当性があるように思える。なぜなら危惧があるというだけで制裁を行うとなれば、原子力発電を行っている国あるいは行おうとしている国すべてが対象となるからだ。

イランでは1970年代中頃にアメリカの傀儡であったパーレビ国王が原子力発電所の建設を決めた経緯がある。ところがこの王朝の腐敗の度が過ぎていた為国民の反感を買い、ホメイニ革命が起こってこの計画も立ち消えとなった。パーレビ国王の時にはアメリカはむしろこの計画を支持していたのである。アメリカの言う事は何でも聞いた国王を追放したホメイニ師に対してアメリカが強い不快感を持ったことは当然であるが、同時に王朝の腐敗を増長させた責任も感ずるべきと思うのだが、どうもアメリカにはホメイニ憎しの感情だけが残りこれを未だにひきずっているように思えてならない。

そもそも核兵器に関して言えば、その抑止力とは東西冷戦時代の構想であり冷戦が終結した現代に於いてはあまり意味を成さないものとなっているのではないか。そうであればイランや北朝鮮の核開発をがみがみ言うよりも、現在多くの国が所有している核兵器の大幅削減に真剣に取り組むべきであろう。核保有国が最終的な核廃棄に向けて具体的に歩を進めれば、自分たちも核兵器の無い世界を目指しているのだから、君たちも今から核兵器を開発するような愚は止めなさいという言葉が説得力を持つようになると思うのだが。
(一本杉)

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