コラム

過去のコラム一覧へ

「アジアから世界へ」 2006年09月05日更新

現在世界の各地で起きている紛争の殆んどがキリスト教徒とイスラム教徒の間での争いである。ユダヤ教徒もあるがこれはキリスト教徒のグループに入れてよかろう。本来人々の平和に貢献するのが目的の宗教が何故紛争を引き起こす原因になっているのだろうか。互いに一神教であるからそれが紛争を呼ぶのだとする説もあるが、この二つの宗教はそれほど偏狭なものなのだろうか。

突拍子もない感じを受けるかもしれないが、筆者は植民地支配の歴史が原点になっているのではないかと感じている。15世紀に始まった欧州各国の植民地開拓は瞬く間にアフリカ・南米・北米へと進み、さらにはインドや南西アジアにも進出することになった。北南米大陸では多数の原住民が殺戮され、足りない労働力はアフリカから奴隷を連れて行って補った。こうしたすべての行いはキリスト教の後ろ盾を受けていたのである。

封建制経済の限界に来ていた欧州各国はこのようにして経済を立て直し富を蓄積して、世界に君臨する立場を築き上げた。ところがイスラム教国はこうした経済成長の流れから取り残されたままであり、何かにつけてキリスト教国の圧力に屈しなければならなかった。これを理不尽と思うイスラム教徒は多いだろうし、時にキリスト教徒に反発することになる。これは単純な宗教間の争いと言うよりは歴史的な感情のなせる業と思えるのだが。

キリスト教国の人達は自分達の繁栄は自らの努力の成果だと思っているだろうから植民地支配を表向きはどうあれ本心で反省してはいない。一方イスラム教国の方は根強い感情的反発が根底にあるとすれば、なにか新しい流れが見えてこない限りこの諍いは終らないだろう。単に二つの宗教の間の争いというだけならそれも仕方ないで終ろうが、これが世界の平和を脅かすとなれば別問題である。

そろそろキリストでもなくイスラムでもないアジアの出番ではないだろうか。アジアの諸国もかなり経済的力をつけてきているし、世界の中での発言力も増していると思う。そこでアジアの宗教的に自由な国が集って本当の世界平和を構築する為の研究会を設けて、宗教に係わりない全地球的平和をどうやって作り上げるかを考えてそれをまとめて世界に提案するのだ。

無論日本はこの行動の中心的立場をとらなくてはならない。平和憲法を護持する日本が西洋の考えにしたがって軍事力を行使するような道を辿ってはいけない。21世紀を見つめたこれまでと全く違う平和へのアプローチを日本がリーダーとなって模索することが、第二次世界大戦で迷惑をかけた周辺国に対する謝罪としてもっとも優れたものになるだろう。

(一本杉)

ユーザーID:
パスワード:
ログインする
e-BISTRADE