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「日本の将来」 2009年09月24日更新

現在の日本が抱える大きな問題のひとつは少子高齢化だろう。高齢化は生活水準の向上 医療技術の発展 年金制度の充実 国民皆保険の達成など国民の望むものが実現された結果であり これを受け入れるのは当然である。福祉が充実すれば人口が高齢化するのは最初から分かっていたことであり 今更のようにこれを問題視するほうがおかしい。昔は姥捨て山と言って年老いて衰えた親を山に捨てる風習が一部にあったようだが 現代人は遥かに豊かな生活を送っているのだから 子が親の面倒をみるのはその気さえあれば可能である。

少子化に関しては 生活が豊かになるほど出生率が下がるのは万国共通のようだ。日本も終戦時に較べれば比較にならないほど国民は豊かになっており 出生率がその間に大幅に下がっても不思議ではない。さらに国土の狭い日本では
現在の人口が多すぎると 漠然とではあるが国民が感じているのではないだろうか。家畜運搬車よりひどいラッシュアワーにおける交通機関の混雑ぶりはどう見ても異常である。うさぎ小屋とフランス人にばかにされた住宅のローンの返済に一生を費やすのも同様である。これらはすべて人口が多すぎることに起因しているのではないだろうか。

そこでより良い生活を実現するために日本は人口を減らすべきであると提唱すると政府や経済学者は口をそろえて猛反対する。人口の減少は国内需要を減らし経済を衰退させ折角築いた経済大国を失速させるというのだ。ではどこまで
人口を増やしたらよいのか。この質問に答えは返ってこない。なぜなら彼等が信奉するアメリカ経済学にこの答えが用意されていないからだ。アメリカは建国以来土地は無限大資源は無尽蔵の国であった。これが現代まで続いてきたのであるから有限を前提にした思考が育っていないのもあたりまえといえよう。

しかしここにきてオバマ大統領の発言にもみられるように アメリカも路線の転換が必要と考えるようになってきたようだ。日本もアメリカかぶれから脱却して日本独自の経済政策を検討してはどうだろうか。まず人口が減少したら日本の経済は本当に没落するのだろうか。たしかに人口が減れば国内総需要は減るだろうが一方で中国やインドなどの巨大人口国では経済が浮上しつつあり その恩恵を受けることは可能だろう。製品の輸出はもちろん現地に工場を建設して技術移転を憚ることなく行えば企業は日本国内の需要をあてにするよりは遥かに大きな収益を得ることができよう。これは生産の現場ではすでに行われていることであり国内需要を過大視するのは現場を知らない人達である。

では国内では何をしたらよいのだろう。人口が減る中で経済を成長させるには
一人当たりの生産性を向上させるしかなかろう。それも手足を使った労働生産性に頼るのは無理だろうから 知的生産性を強化するしかあるまい。そのためにこそ政府は思い切った財政支援を行うべきである。まず化石燃料に頼らずにすむエネルギー源の開発である。エネルギーの殆んどを輸入に頼っている日本の現状は真に危ういものだ。究極のエネルギー源は水素だが 太陽光・風力・潮力・地熱など比較的早期に開発できそうな技術に対しても民間任せにしないで政府として積極的な開発支援を行うべきだ。

さらには教育の強化に一層の注力を行うことも必要だろう。特に独創的な発想を重視した教育が望まれる。だれもが考えるようなことを考えていてもその成果はたかが知れている。独創的な発想から新しい発明が生まれるのだろうし
それが知的生産性の向上に寄与すると思う。

(一本杉)

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