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「いじめ」 2006年11月21日更新

最近学校でのいじめの報道があとを絶たない。さらにいじめられた子供が耐え切れずに自殺するケースも急増しているようだ。いじめは世界のどこにでもあるようだし、日本でも昔から存在していた。どうやら動物のもつ本能的な性向のようで、群を成す野生動物の間でもいじめは観察されているようだ。成長の過程において、いじめる側に立ったりいじめられる側に立ったりすることは、その後の社会生活に対応するための良い経験になるのではないかとさえ思える。

しかしこれも程度によりけりで、度を過ぎたケースでは相応の懲罰などの対策が必要であることは論を待たない。大怪我をさせたりあるいは金品をまきあげるなどは明らかに犯罪行為であり、警察に引き渡すのも止むを得まい。また異常な執拗さで繰り返すのも犯罪に準じた扱いを受けても致しかたあるまい。 ここまで行くと良い経験ではなく、将来に暗雲をなげかける経験となる。そこで「ほど」をわきまえることが大切となってくる。一概にいじめは悪いと決めつけるのではなく、この「ほど」というものを教えることが必要だろう。 

いじめは複数で行われることが普通だが、これはいじめる側が強いわけではないことを表わしている。むしろ弱いから仲間を構成していじめを行うと見るべきだろう。つまり彼等は弱い人間なのだという認識を一般化させるべきである。そうなればいじめをすることが自分の弱さをあからさまにすることになり、いじめを抑制する効果を生むのではないか。同時に他人を思いやる気持に欠けていることも明らかであるから、思いやりの心は幼少の頃から徹底的に教えておくべきである。

いじめられて自殺する子供たちは真に不憫であるが、毎日のように学校でいじめを受けていれば生きているのが辛くなるのは当然である。しかし殆んどの子供たちは自殺を実行することはない。こうした子供たちと自殺してしまう子どもたちとどこが違うのだろうか。考えられるのは相談相手の有無である。誰かに自分の辛い気持を打ち明けて相談に乗ってもらえれば、それだけで随分と気持が楽になるだろう。さらにこの相談相手が具体的に行動を起して自分が置かれている環境に変化を生じさせてくれれば、これで問題は解決したことになる。

こう考えたときに、自殺に及んだ子供の想像もつかない孤独感が伝わってきて、可哀想でならないのである。

(一本杉)

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